ギャンブル依存症における底付きとは
ギャンブル依存からの回復は、底付き体験をすることで自身が病気だと気づき、回復を始めることができると言われています。
底付きとは、依存症が進行し、自らの問題を認めて助けを受け入れざるを得ないようなギリギリの状態に陥ることです。
人によって底付きの状況は違いますが、これが底付きだと感じる体験をした方もおおいのではないでしょうか。
底付きは、もっともギリギリの状態、苦しい状態です。
僕の場合は、離婚届に名前を書きましたし、ギャンブル依存症だということを会社の上司や社長も知っています。
家族にも泣きながら話をし、これからの生き方を話し合いました。
ギャンブルをやめるためには苦しんだ方がいいのか
では、ギャンブルを辞めるためにはできるだけ苦しんだ方が良いのでしょうか。
私はそうは思いません。
底付き体験は家族や周囲の人を巻き込みます。
そうなる前に回復に進めるならそれに越したことはありませんよね。
ギャンブル依存からの回復にはまず、主体性が大切です。
自ら、強い意志で、「辞めたい」と考えることです。
底付き体験にはこの「辞めたい」を「心から辞めたい」に変えてくれる力があると思います。
しかし、これはギャンブルや自身の病気に対する「辞めたい」だと思います。
苦しい状況から脱したい、その気持ちで「辞めたい」と叫ぶのです。
ギャンブルは自分にとっては良くないものだと、依存症の人は気付いています。
ギャンブルをやっているのに楽しくない。
苦しい。
借金が増える。
結婚できない。
家族に迷惑をかける。
こんな状態で、ギャンブルは自分にとってとても良いものだと感じている人はいないはずです。
この感覚に真剣に向き合えたとき、私は回復が始まっていくと思っています。
「ギャンブルを辞めたい!」のではなく、「自分の人生を良くしたい!」と考える主体性は回復を進めてくれます。
大きな苦しみを感じていなくても、依存症者が「変わりたい」と言うようならそれが回復のスタートです。
病気だという認識は必要か
確かに、自分は病気だと認識していなければ回復の中で衝動に負け、またギャンブルをやり続けてしまうかもしれません。
それでも、自分にとってギャンブルは良くないものだと感じる程度でもいいと思います。
人生まるごと考え、「変わりたい」という意思を持っての回復さえ進めることができれば、ギャンブルが必要ないと考えるようになると思うからです。
自分にとって良くないものだから、人生にとっても必要が無い。
そう考えられるようになることを目指します。
人生について考えられるのであれば、底付き体験のような大きな苦しみで自覚するということは必要ないと考えています。
まとめ
回復のための主体性を持つタイミングは人それぞれです。
私はそのタイミングを早めて欲しいとは思いません。
「変わりたい!」 と決心したときは是非一緒に進んでいければと思います。
コメント