人生の振り返り

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人生80年くらい。

「生きる意味」を考え始めると、「ない」と考えてしまいます。

それでも、生き続けるのは「死にたくないから」という気持ちが大きいのでしょう。

 

ギャンブル依存症でどうにもならなくなったとき、自分で今後のことを色々考えましたし、周りからも勧められました。

度胸がなく、命を投げ出すことはできませんでした。

回復施設に行けと言われましたが、調べてもいません。

実家に帰る、親戚の会社で働く等、制約がある中での生活も打診されました。

 

どれも現実にはならず、「今の生活を壊したくない」という思いで、ギャンブルを続けられる生活を死守しました。

ギャンブルをやりたい自分、今の生活をしている自分を守りながら、周りに問題を引き起きしていました。

どこまでも自分勝手でしたが、いつも「なんとかなる」と思っていたのでしょう。

今の日本であれば、どこでも再出発できると考えていました。

 

ギャンブルを辞めたいと考えたときも、もしかしたら、自分の身を守るためだったのかもしれません。

妻と離婚するとき、恋人同士のように「さようなら」とだけ言って別れることはできません。

法律上の問題から、家の問題、様々な過程があります。

それを考えた時、「ギャンブルを辞めた方がマシだ」そう考えたのかもしれません。

 

いつも自分のことしか考えず、より自分を守れる方に行動しようとするのは、幼少期の頃からだと思い出します。

幼少期も、学生時代も、依存症になる前も、あとも、人としてはほとんど変わっていません。

そういう弱さを知りながら、「そういうものか」とどこか達観して見ている自分がいました。

 

ギャンブルを辞めると決めたとき、自分の役割について考えました。

人として、夫としての役割です。

役割の形は人それぞれだと思いますが、自分の役割を半ば強引に「でっちあげた」ことが、ひとつの回復のきっかけだったように思います。

「自分はこの短い人生の中でこれをしなければいけない」

そう思い込むことで、ギャンブルの未練を断ち切ろうとしました。

 

どこまでも合理的に、自分がギャンブルを辞めてプライドを保てる方法を探します。

一種の洗脳の様な形で、「自分がこう決めたから」「ギャンブルをやる時間は無い」そう考えていました。

依存症を認めることは弱さを認めることだと思います。

しかし、自分はどこまでもプライドを守り、依存症ということでさえも、「それを告白できる自分」を良いものとして、大きく見せようとしているのかもしれません。

 

結果として、ギャンブルから離れることができ、回復の過程で人生が大きく変わりました。

仕事でも、家庭でも、人間関係でも、良いことが増えました。

自分の考え方も大きく変わり、自信を持てるようになりました。

それは、プライドに絡まった自信では無く、弱さも強さも認めた上での自信です。

 

それでも、「根本の人間性は変わってないのかもしれない」そう考えながら今後も生きていくのかもしれません。

短い人生だからこそ、どう生きてもいいと思っています。

迷惑をかけてしまうことが当たり前の世界で、「ギャンブルをやっているからダメだ」ということもないと思います。

 

そんな世界で、自分にとって心地良い場所を探していくことが幸せなのかもしれません。

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