ギャンブルをやっているときは、ギャンブル中心の生活でした。
食費をできるだけ浮かせて、ギャンブルの軍資金を捻出します。
友達とご飯を食べるときは、できるだけ安いものを注文していました。
お金を使うのも、「ギャンブルのため」という理由をつけます。
願掛けで財布を買う。
勝率を上げたくて情報誌を買う。
ネットカフェで公営競技の投票をしていたこともありました。
自分のためではなく、とにかくギャンブルのためにお金を使います。
どんなにお金を使っても、「ギャンブルで勝てばいい」と考えているのです。
負ければお金をケチり、勝てば気が大きくなっていました。
そんな十数年間を過ごしてきましたから、「良いもの」を経験することは少なかったと思います。
食事も旅行も、友達との時間も、ギャンブルを優先してきたからこそ、深い経験を積んできていませんでした。
ギャンブルを辞め、周りをみる余裕ができたころ、自分にとって良いもの、質のいいものに触れる機会がいくつかでてきました。
人の思いや苦労、期待を凝縮したようなそのものは、自分にとって新しい世界をみせてくれたんですよね。
それは、ギャンブルをやっているときよりも、ギャンブルを辞めてからの方が自分にとって良い影響があるのがわかります。
気持ちが満たされ、活力がわいてきます。
その気持ちがギャンブルに向かう必要がないからこそ、自分の中で満たされるのでしょう。
これからも、色々な経験をしたいと思っています。
自分の人生をまるごと考えたとき、そういった経験がギャンブルよりも大切だと考えたからです。
その経験を、自分の好きな友達、パートナーとできればそれほど幸せなことはないでしょう。
日々の苦しみも和らぎ、癒されます。
ギャンブルをやっているときに心が満たされることはほとんどありませんでした。
これからは、心が満たされることに時間とお金を使いたいと思います。
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