
僕は、どうしてもギャンブルが辞められないので「ギャンブル依存症だ」と考えていました。
それでも、現在のような「ギャンブル依存症」という病気としての認識はなく、「ギャンブルにのめり込んでいる状態」と考えていました。
ギャンブルにのめり込んでいると考えているということは、「辞められる」とも思っていました。
生活の一部になってしまっているからこそ、辞められないんだと思っていました。
あるとき、家族に「病院行った方がいいんじゃない?」と言われることがありました。
その時は、借金が返せなくなり、家族に迷惑をたくさんかけていたときでしたから、納得したのを覚えています。
「病院にいかなければどうにもならない」
本当にそうかもしれないと思いました。
僕の想像した病院とは、矯正施設のようなところで、無理にでもギャンブルをやらない状態をつくらないといけないんだろうと考えていました。
そのころから、少しずつ自分が「ギャンブル依存症」だということを認識しました。
これまでは、
なにかのきっかけで止まる
強い意志で辞められる
別のことで稼げるようになる
こういうことで、ギャンブルから離れられると思っていました。
病気というよりは、意思の問題と考えていたのです。
だからこそ、自分から行動するというよりは、何かのきっかけで強い意志を持つようになると信じていました。
自分がある程度正しく「ギャンブル依存症である」と認識したのは、底付き体験と「ギャンブル依存症である」と考え始めたことがきっかけでした。
最初は、正しい認識ではなかったかもしれませんが、自分が「ギャンブル依存症である」と考えることによって、「じゃあどう治していけばいいんだろう」と調べはじめたり、同じくギャンブル依存症で苦しんでいる仲間に出会えました。
ギャンブル依存症から回復していくためには、ある程度正しく依存症を理解しないといけません。
コントロール出来ることは出来るし、できないことはできないのです。
そこの線引きは難しいですが、依存症を知ることにより、多少できるようになります。
依存症について知ること、そしてそれに自分を重ね合わせてみることが大切なのだと思います。
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