
ギャンブルをやらない後輩から、「競馬やりたいと思ってるんですけど」「面白そうですよね」って言われたことがあります。
僕自身、ギャンブルが好きと明言していたものですから、わざわざ僕に言いに来てくれたのだと思います。
僕はその時「遊びなら面白いよ!」と答えました。
自分自身、ギャンブルで苦しんだ思い出と楽しかった思い出があります。
実際には楽しみは一瞬で、最後には苦しみが待っていました。
そんな状態でしたが、どうしても「ギャンブルは楽しい」という思い出だけが色濃く残っていたのです。
人と話すときも、苦しかった話よりも楽しかった話の方が話しやすいですしね。
でも、これまでやってきたギャンブルは本当に楽しかったのでしょうか。
「興奮した」のは本当です。
でもそれが楽しかったのかは分かりません。
「競馬は面白い」と思いますが、「思わされている」とも感じます。
「興奮するから」「過去の自分を否定しないように」楽しかったと思い込んでいるのかもしれません。
好意的に僕の元へギャンブルの事を話しに来てくれた人に「結局困ることになる」とは言えませんが、「この人はギャンブルとどういう付き合い方をするのかな」と考えます。
ギャンブルとうまく付き合えている人はいますからね。
ギャンブルを辞めようとしているとき、ギャンブルの思い出を良いものとして捉えていると我慢に疲れるかもしれません。
ギャンブルに興奮した結果、楽しいと思い込んでいるかも、という視点も大切かもしれないと思いました。

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