
僕は、ギャンブルをやり始めた時、「楽しみのひとつになれば」と思って始めました。
大学生活の閉塞感から抜け出すための、ひとつの手段がギャンブルだったのです。
ギャンブルを続ければ続けるほど、お金が必要になっていきます。
勝ち続ける、なんてことはできませんから当然でしょう。
しかしそんな状況でも、「勝ったことがあるから」という理由で続けてしまいます。
「ギャンブルだけで生活ができる」と考えたときもありました。
努力をすればギャンブルだけで生活できる、そして、それは自分でも可能である、と思っていました。
しかし、そんなことは起こりません。
それでも、ギャンブルに対しての希望を持ち続けていました。
「ギャンブルは自分の人生だ」とまで思ったこともありました。
楽しさや興奮はギャンブルに勝るものはなく、ギャンブルをやっているときが一番充実していると思っていました。
ここで一度考えます。
最初は、「楽しみのひとつになれば」と考えていたギャンブル。
「ギャンブルだけで生活ができる」「ギャンブルは自分の人生だ」と大きく思考が飛躍していることに気付きます。
気持ちの変化はあるにせよ、ここまで人生が変わるほどの変化があるのです。
これがギャンブルにのめり込むということだと思いますし、依存症ならではだと思います。
時々、ギャンブルを始めた頃の気持ちに立ち返るといいと思っています。
そして、そのときに本当は何を望んでいたか考え、それをギャンブル以外で埋めてあげたいですね。

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